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飛行機で赤ちゃんが泣いて焦っていたら全くの他人が手を貸してくれた

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男装の麗人といえば川島芳子(愛新覚羅顯㺭)ですが、
宝塚歌劇団の男役もそうですね。

男の出で立ちをした、容姿の端整な女性を指す語
男装の麗人とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

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昨日の「ブラタモリ」は「宝塚」でした。宝塚歌劇団を特集ではなく宝塚市です。
もちろん宝塚と言えば宝塚歌劇団なので、訪問していたし、星組スターさんもちょっと出演されていました。

凄く綺麗な役者さんで本当に見惚れるのですが、
私、たぶん宝塚の役者さんとお話したことあるかも!って思い出語りです。

16年前東京にいた

夫の転勤で16年前に東京に引っ越しました。
長男の生後5か月で転勤が決まり、先行した夫を追うように生後7か月で母子は東京に移りました。
東京では夫は仕事の関わりがあるものの、私は友人どころか親戚縁者もおらずホームシックならぬ大阪シックになることもしばしば。
3年間の滞在で長期休暇の帰省以外に年に数回母子だけで大阪に帰省していました。

飛行機での移動

新幹線より実家へのアクセスが良いことと搭乗時間が短いという理由で帰省はいつも飛行機です。
子供を膝に抱いての移動なので周辺に迷惑にならないよう、エコノミーではなく常にスーパーシートを利用していました。(今もスーパーシートって言うのかしら?)
スーパーシートにはビジネスのお客様が多く、休息を取ったり本を読んだりと貴重なリラックスタイムです。
それを子供の泣き声で迷惑かけまいと搭乗前にすぐミルクを出せるように準備しておいたり(機内でもお湯は貰えるのでミルクは作れるがすぐという訳にはいきません)、
月齢が増すと小型のおもちゃやおやつをすぐ出せるようにと気をつけてはいました。

準備をしていても泣く時は泣く

ある時、息子が泣き止まない時がありました。
オムツOK、ミルクも飲まない、おもちゃもおやつ(赤ちゃんせんべい)もいらない!
機内で子供を抱いて歩いて回るのも抵抗があります。
周りに恐縮しながらあやしていると、通路を挟んだ向こうから声がかかりました。

「赤ちゃん女の子ですか?」

声の方を見るととても美しい男女でした。
いえ、男女ではなく男性っぽい恰好をした女性であることはわかりました。

「いえ~男の子です。落ち着かなくてすみません。」

よく女の子と間違えられる子でした。
間違えられることへの抵抗はなく、そのハンサムな女性にドキリとした記憶があります。

「かわいいですね。ちょっと抱っこさせてもらってもいいですか?」

その人はうるさそうな顔をするでもなく、そう言います。
泣き止まない顔もグズグズの息子を抱かせるのは、抵抗がありました。
ですが、その人は手を伸ばし息子を受け取る体勢になってくれるのです。
涙で自分の衣服が汚れるのではという心配なんて全くしていない感じです。
私は息子の顔を拭き席を立ってその人に息子を託しました。

「手が変ると泣き止む」とはよく言ったもので、他人に抱かれた息子はスンと泣き止んでいます。キョトンとしている感じです。
ほっぺをツンツンして「やわらかくて綺麗」と言ったり、
女性に息子を渡して窓の外を見せてくれたり、
私にそれ以上声を掛けるでもなく、二人と息子でおしゃべりしてくれていました。
私はそれをただ見守っていたのです。

母親に気を遣わせない声掛け

その後、息子を私に返し「お母さん一人で移動は大変ですよね。抱っこさせてくれてありがとう。」とその人は言いました。それはこちらが言いたい言葉です。
泣いてどうしようもなかった、逃げ場のない場所で、私に気を遣わせない言葉をかけてくれた人たち。
交わした言葉は多くないけれど、私をホッとさせてくれました。

うるさそうな顔が見えたら、チェっと舌打ちが聞こえていたら、
私はその後飛行機に乗ることに抵抗を持ち、知人のいない東京で心を休める帰省もままならず、育児のストレスを抱えて生きていたかもしれません。

泣き止ませられなかった自分を責めることもなく、ほんの一時のその人たちとの交流が私の狭くなっていた心を広げてくれた気がします。

後になって思ったのは

あの二人は宝塚の役者さんではないだろうか?ということ。
綺麗な人はいくらでもいますが、それとは一線を画した美しい男性っぽい恰好をした女性。
お化粧こそしてなかったようですが宝塚の男役の方だったのではと思いました。
そして「透けるような白」という言葉が当てはまる透明感のある女性。

当時、もしかして・・・と思っていましたが、
昨日の「ブラタモリ」で出ていた娘役スターさんが私の記憶を引っ張ってきました。
舞台ではなくプライベートに近い服装で、清楚・清潔を備えた姿。
あ~やっぱりあの人たちはそうだったのかもなぁ。

私も同じことを返していきたい

他人に無関心であるということをよく耳にしますが、他人と自分の違いを卑下することもなく、関わらないという選択も可能だと思います。
自分のペースを乱す者には意見・文句を言うこともできます。でもそれがいい方法だとは思っていません。
子を他人に託すことで「母親として・・・」という否定の言葉を耳にすることもありますが、皆が皆心を許せる手が近くにあるとも限りません。

16年という時間は色んなものを変えてきたけど、他人に手を差し伸べるのはあっていいんじゃないかと思っています。
あの頃の私のように困っているお母さんがいたら声を掛けてあげたい。
他人に託すのに躊躇はあるだろうと思う。私が他人の子を抱いて走り出さないとも限らない。
でもお母さんが瞬時に持つその心配は、自分の普段の行いから顔・言葉・態度にあらわれると思うし、
スッと差し出せる余裕を私に備えて、同じように声を掛けてあげたいなと思うのです。
そのほんの5分で辛い時を癒せるなら、おこがましいですが手を差し伸べたいなぁという気持ちは持っています。